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大戦期のソ連機械化部隊

ロシア戦車は良く言えば安価で実用性が高く後進国では評判がいいが、悪く言えば乗員の居住性軽視・濁ったペリスコープ・歪んだ照準器・貧弱な無線機など細部の質の低さにおいで先進国では悪評が高い。ただしこれはロシア兵に言わせれば西側戦車のほうが贅沢すぎるといったものであり、その質にたよらない物量作戦はバグラチオン作戦を頂点に、兵員の質を誇るナチス・ドイツ軍を撃退した

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資本主義国が世界大恐慌に苦しんでいた1930年代、隔絶した経済圏を持つソ連は第一次五カ年計画(1928-32)のもと順調に重工業を発展させていた。農業用トラクターの量産技術が生かされ、1930年先駆的な機械化旅団が創設された。
「縦深作戦理論」という、砲兵と航空機の支援の下、歩兵支援戦車が突入し、遠距離行動戦車が敵陣地(縦深)を突破、敵後方に機械化騎兵を展開し包囲すると言う、独自の戦術を編み出していた。
しかし、スターリンにより、機械化部隊の編成を行っていたトハチェフスキー将軍・縦深作戦理論の考案者のトリアンダフィーロフ将軍・参謀として理論の完成に当たったイェゴロフ参謀総長らが粛清されたため、この実験は頓挫することとなった。

ドイツ装甲師団の成功を見たスターリンは態度を改め、1940年29個機械化軍団(2個戦車師団・1個自動車化師団で構成される予定だった)を作ることを決定した。
しかし、独ソ戦開始時点では、戦車の充足率は60%強であり、それも大半が旧式戦車で、新型のT-34戦車は1、200両余り、KV系重戦車は600両余りであった。しかも、機械化を進めた将校の粛清で、戦車部隊運用のノウハウを持つ人材は全く育っていなかった。
また、独ソ戦序盤におけるソ連軍の損害は非常に大きく、戦車不足であったことと大規模な戦車部隊を運用する能力が無いことを自覚したことから戦車師団の編成を断念し、既存の戦車師団も解隊された。

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2009年04月27日 10:35に投稿されたエントリーのページです。

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